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所沢の足跡 ~人物編~

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所沢の女流俳人 野遊亭里恵女(やゆうてい りえじょ)

江戸末期、地方俳諧がもっとも盛んな時期、所沢がその拠点のひとつとなっていました。このとき誕生したのが、女流俳人として名高い野遊亭里恵女(ヤユウテイリエジョ・三上里恵)です。

里恵女は宝暦3年(1753年)中藤村(武蔵村山市)の波多野家に生まれました。また、里恵女の出生地は所沢という説もあります。 里恵女が嫁いだ三上家は「角三上」と呼ばれる所沢草分けの一家で、酒造、米穀商を営む名家でした。「関八州冨貴長者鑑」には、所沢から三上家のみが前頭に名を連ねています。

夫の三上半次郎は俳号を一巣といい、夫妻は雪中庵三世大島蓼太(オオシマリョウタ)門下で俳諧を学びました。この雪中庵蓼太は「門人二千、文台を許すもの四十有余、集を編むこと二百有余」といわれ、江戸で最も高名な俳人でした。雪中庵はこの所沢を埼玉門下の拠点と位置づけていたようです。

夫妻の号である「野遊亭」は道興准后(ドウコウジュンコウ)が所沢を訪れた際、「野遊びのさかなにやまのいもそえて ほりもとめたる野老沢かな」と詠んだことにちなんでいます。  一巣亡きあと、里恵女は追善句集『ひととはは』を刊行します。その後、八朶園寥松(ハチダエンリョウショウ)に師事した里恵女は、足しげく寥松のもとに通い、江戸と所沢を往来していたようです。

文政9年には喜寿記念賀集『屏風形画頌』を刊行。この句集には、師・八朶園寥松と『武蔵野話』の著者として知られる斎藤鶴磯(サイトウカッキ)が序文を贈っています。 天保6年には83歳で『牡丹帖』を上梓するなど、晩年まで精力的に活動を続けました。 三上家の墓所でもある薬王寺には里恵女の句碑があります。(F)

むさしのに
らちなく老いし 柳かな

薬王寺 
《所在地》所沢市有楽町8-18
《交 通》航空公園駅下車10分

参考文献

  • 『所沢市史 上』 所沢市《213.4ト》
  • 『野遊亭里恵女』深井八重/著 深井琴 《K913ヤ》
  • 「所沢の女流俳人三上里恵女の周辺」小林甲子男/著 『埼玉史談30巻1号』 《K005サ》
  • 『埼玉人物事典』 埼玉県《K280.3サ》

「所沢の足跡」地図

薬王寺