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所沢の足跡 ~歴史編~

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  3. 小手指ヶ原古戦場


太平記における激戦の地 小手指ヶ原古戦場

鎌倉時代末期、各地で倒幕の動きが起こり、世は戦乱の時代でした。そして、市内でも鎌倉街道沿いの小手指ヶ原を中心に激しい戦いが繰り広げられました。

新田義貞は上野国新田庄(群馬県太田市)を本拠地とする源氏の一族でしたが、元弘3年(1333年)倒幕のため挙兵しました。 最初は150騎ほどであった新田軍は、足利氏らの援軍もあり、小手指ヶ原付近ではおよそ20万騎の大軍勢になりました。 幕府軍との激戦は、30余回もの打ち合いとなりましたが、その日のうちには勝敗がつきませんでした。やむなく新田軍は入間川(狭山市)、幕府軍は久米川(東村山市)にそれぞれ引き上げました。

翌日、義貞は久米川の幕府軍を襲撃し、分倍河原(府中市)まで追いつめ、一度は敗れたものの、打ち負かすことに成功しました。 そして5月22日に執権・北条高時らは自害し、鎌倉幕府は滅びたのです。この戦の様子は『太平記』にも記されています。

また、戦にちなんだ史跡も数多く残されており、小手指ヶ原にほど近い「白旗塚(しらはたづか)」は義貞が源氏の白旗を立てた場所といわれており、その北の「誓詞橋(せいしがはし)」は倒幕を誓った場所とされています。また、長久寺(久米)の南の柳瀬川にかかる「勢揃橋(せいぞろいばし)」は新田軍が勢揃いした場所と伝えられています。八国山の「将軍塚(しょうぐんづか)」は、義貞が戦の際に陣を敷き、軍勢を指揮した場所とされています。

その後、室町幕府が開かれ足利氏が実権を握ったものの「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」と呼ばれる内部戦争が起こり、足利氏の敵対勢力が各地で活発化しました。 正平7年(1352年)新田義貞の遺児、義興・義宗が後醍醐天皇の皇子宗良親王を奉じて挙兵し、足利方に戦いを挑みました。 この一連の戦いを「武蔵野合戦」と総称します。

小手指ヶ原では義宗と足利尊氏が軍勢を率いて対決しました。『太平記』にはこの戦の様子として、饗庭命鶴丸(あえばのみょうつるまる)率いる足利方の一軍が、付近の梅の花を折り取って箙(えびら・矢を収納する道具)に挿して戦いに望んだ場面が記されています。 また、新田方の宗良親王は、この戦に際して味方の士気を高めるために和歌を詠みました。北野天神社の境内にはこの歌の歌碑が建てられています。(F)

君のため世のためなにかおしからん すててかひあるいのちなりせは 宗良親王

参考文献

  • 『所沢市史 文化財・植物』所沢市《213.4ト》
  • 『所沢市史 上』 所沢市《213.4ト》
  • 『ところざわ歴史物語』所沢市教育委員会《213.4ト》
  • 『埼玉ふるさと散歩 所沢市』斉藤脩治/著さきたま出版会《291.34サ》
  • 『所沢市史研究 第10号』所沢市教育委員会《213.4ト》

「所沢の足跡」地図

①誓詞橋 ②勢揃橋 ③八国山