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所沢の足跡 ~人物編~

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詩人・茨木のり子と所沢

平成18年(2006年)2月に亡くなった、詩人・茨木のり子。 「わたしが一番きれいだったとき」等の詩で知られる彼女は、所沢にゆかりの深い人物でもありました。

茨木のり子は大正15年(1926年)に大阪府大阪市に生まれました。 その後、愛知県に移り住み、地元の高等女学校を卒業後に上京。 帝国女子医学薬学専門学校(現・東邦大学)に進学しました。 在学中は戦争のさなかで、この時期の体験がその後の詩作に大きく影響します。 昭和21年(1946年)に同校を卒業。戦後しばらくは劇作家を志し、童話作家、脚本家として活躍します。

昭和24年に医師・三浦安信と結婚。 この頃から詩作を始め、家事のかたわら、雑誌『詩学』に投稿します。 昭和28年には、川崎洋らと同人誌『櫂』を創刊。谷川俊太郎・大岡信・吉野弘などの新鋭詩人を多数輩出しました。    昭和30年(1955年)に第1詩集『対話』を刊行。 以後、『見えない配達夫』『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』『倚りかからず』等の詩集を刊行しました。 平成3年(1991年)には訳詩集『韓国現代詩選』で読売文学賞(研究・翻訳賞)を受賞し、訳詩の分野でも活躍しました。

川崎洋らと創刊した同人誌『櫂』。 この『櫂』の歴史を綴った「『櫂』小史」にはこのように書かれています。

《或る日、一通の手紙が舞いこんだ。「一緒に同人誌をやりませんか?」
という川崎洋氏からの誘いだった。時は昭和二十八年の早春、私の住所は、
アメリカ軍基地のある、埼玉県所沢町。》

つまり、『櫂』を創刊した頃ののり子は所沢に住んでいたのです。 また、《昭和二十四年の秋に私は結婚していて、所沢町に住み、翌二十五年くらいから、詩を書こうとしていた。》とあることから、詩人・茨木のり子の出発地はこの所沢であるともいえます。 西東京市の自宅でその生涯を終えた茨木のり子。その魂は今も若い詩人たちに脈々と受け継がれています。(F)

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(「自分の感受性くらい」より)

参考文献

  • 『現代詩文庫20 茨木のり子』思潮社《911.56イ》
  • 『詩歌人名事典』日外アソシエーツ《R911.035シ》
  • 『日本名詩集成』学灯社《R911.5ニ》